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城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館・菖蒲園)

城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館・菖蒲園)│岩村のシンボル

岩村のシンボル

岩村城跡の山麓の武家屋敷地約2haを利用し、下田歌子勉学所、花菖蒲園、歴史資料館、太鼓櫓、遊歩道を整備し自然をそのまま生かし、町民や観光客の皆さんに親しんでいただける公園です。

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◆太鼓櫓 
江戸時代初期、時の藩主松平家乗が、平和な時代になり、城主が城の山頂に住む必要がなくなったとして、城の麓に藩主邸を造営しました。以後その場所は政治の中心として機能をはたす一方、『太鼓櫓』が設けられ城下に時を知らせました。時を知らせる為の櫓は藩主と領民の心の絆となり、非常時にはそれを乱打して領民にそれを知らせたともいわれています。 
 現在の太鼓櫓はふるさと創生の1億円によって平成元年から平成2年にかけて復元され、今では岩村のシンボルとなっています。 

◆下田歌子勉学所・顕彰碑・銅像 
《勉学所》 
明治から昭和にかけて日本の女子教育の先駆者で歌人であった 下田歌子 が勉学に勤しんだとされる勉強部屋(父の書斎)を復元したもの。歌子の家系は代々学者で藩校知新館の教授を務めていました。江戸期には女子は藩校で習い事が出来なかった為、歌子は祖母から読み書きの手ほどきを受けました。その才は驚くことに5歳で俳句・和歌を詠み、8歳で漢書を理解したと言われています。明治から昭和の女子教育の先駆者としての基礎を養ったのがこの勉学所と言えるでしょう。 

『春月』 
 たまくらは  
 花のふぶきに うづもれて     
 うたたねさむし 
 春の夜の月 

宮中に女官として仕えていた歌子は、ある時、春月とお題を賜りこの歌を詠んだ。この春月は、平安歌人の作品と比べても少しも遜色のない秀歌と讃美を集め、昭憲皇太后から「歌子」を名乗るが良いとのお言葉を頂き、歌子と名乗るようになりました。 

《顕彰碑》 
“綾錦着て帰らずは三国山 
      またふたたびは越じとぞ思ふ” 

明治から昭和にかけて日本の女子教育の先駆者として、現在の実践女子大学(東京)を創設した下田歌子が上京する際、大変な決意を込めて詠んだ歌。後に歌子は歌意のとおり故郷へ錦を飾り、今も岩村町の偉人としてたたえられています。顕彰碑は高さ3m、巾1.3mあり伊豆根府川石の立派なもので、歌子が亡くなる一年前に実践女子学校関係者の善意によって建立され、なんと実践の校庭で刻まれ鉄道で運ばれて来ました。 

《銅像》 
岩村町の偉人十傑の一人、そして岐阜県の郷土に輝く先人にもなっている「下田歌子」。このたび下田歌子生誕150周年記念として、平成15年11月3日に下田歌子勉学所敷地内に銅像が立てられました。銅像の台座にはめてある銅版の「下田歌子 女史」の揮毫(きごう)は、梶原拓岐阜県知事が書かれました。 

◆知新館 
岩村藩校・知新館は元禄15年(1702年)に松平乗紀(のりただ)によって創立されました。美濃においては最初の藩校で、全国的にみても藩学としては古く、10指に入るといわれています。創立当時2万石の小藩でありながら文教政策に重点をおき、有能な藩士の育成を図られていた点は注目に値します。知新館の知新とは孔子の論語の「温故知新」からとったもの。 城址公園には知新館の正門が移築されています。 

◆菖蒲園 
菖蒲園は岩村城登城坂に沿ってあり、約50種類・3000株の花菖蒲が植えられており、毎年おおよそ6月下旬に開花します。 岩村町出身で桜と花菖蒲の研究において世界的な第一人者で東京大学教授でもあった、三好学博士にちなんでこの地につくられました。 
第14回「花の都ぎふ」花かざりコンクールで『花の名所づくり特別賞』を受賞しました。

インフォメーション

城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館・菖蒲園)のデータ

住所 岩村町88番地 
TEL (社)恵那市観光協会岩村支部 TEL:0573-43-3231
アクセス方法 《車》中央自動車道「恵那IC」より、国道257号線で約20分。
資料館前に駐車場有(無料)
《電車》JR中央線「恵那駅」より明知鉄道で「岩村駅」で下車。(恵那より約20分)駅より徒歩約30分